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家族計画について
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家族計画ということばをはじめとして、計
画山産、計画産児、産児調節、受胎調節とい
う似たようなことばが、髄現在ほど頻繁に使わ
れ、それに関する問題が、新聞や週刊誌や雑
誌ににぎやかにとり上げられている時期は、
かつてなかったといってよいでしょう。
この問題についてのアンケートを、結婚一
年未満の二五〇組の方々から寄せてい夜だき
ましたが、一四〇組(五六%)が、結婚前に家
族計画についての話し合いをもったとのこと
でした。
専門の婦人科医や受胎調節指導員を訪問し
て指導を受けたとか、あるいは二人だけで話
し合ったとか、それぞれ程度の差はあります
ぶ、今までに考えられなかったほど、家族計
結婚前、半数以上の人が「家族計画」
について話し合うている。
画についての関心が深くなっています。
この事実は、結婚生活に入り、新家庭を設
計してゆくうえに、家族計画が非常に重要で
切実な問題になっていることを示します。
家族計画とは
どういうことか
ところで、家族計画ということが、とかく
産児制限、受胎調節といらことと同じ意味に
とられているのが現状です。
家族計画ということの本来の意味は、それ
ぞれの夫婦が、生活能力や生活の目標、理想
に応じて、子どもの数や出産の間隔を計画的
に調整して、幸福な家庭生括を営むのに適し
た家族数を設計し、その実現に努力すること
なのです。
ですから、家族計画とは「産むな」というこ
とではなく、産みたいときに産み、産んでは
困るときには産まないための計画、つまり、
責任をもって育てられないときには、受胎調
、節によって妊娠しないよ些にしようというこ
となのです。
受胎調節ということは、家族計画を実行す
るときに必要な、一つの技術であり、方法で
あるにすぎません。
人口問題との関連
第二次大戦後、わが国の国土の多くの部分
を失い、それに加えて戦時中の「産めよ、ふ
やせよ」という国家の奨励が、日本の人口問
題をたいへん深刻にしているのが現状です。
しかし、日本の多すぎる人口を解決する方
法の一つとしてのみ、家族計画を考えるのは
ど)でしょうか、まして、ほとんど公然のよ
ヶに人工妊娠中絶を認めている日本の現在の
状態については、疑問を感じないわけにいき
ません。
最近ρ日本の出生率低下はいちじるしく、
昭和二十三年度には出生率三〇を越していま
し旋が、」昭和三十二年には一七二と驚異的
な低下を示し
ています。こ
れを他の国と
比較してみま
すと、下表の
ようになりま
す。
しかし、こ
の出生率をも
って、すぐに、
日本に家族計画がゆきわたっ
た証拠と見るのは、少し性急すぎるように思
われます。(「人工中絶」の項参照)
人口の問題がどのようにたいせつであり、
私たちの日常生活のあらゆる部分に関係があ
り、重要なことであるかは、今さらいうまで
もないことでしょう。しかし、家族計画を国
家の人口政策とすぐに結びつけて考えたぐあ
りません。なぜなら、家族計画というのは、
もともと人間尊重の思想から出発しているも
ので、個人の生活を幸福にすることを目的に
しているからです。
、受胎調節という技術をとり入れて、家族を
計画的に作りあげてゆくという家族計画は、
ゼこまでも個人の自由意志に或かせられるべ
きもので、特殊な医学的理由を除いては、「産
めLとか「産むな」とか命令することは、国家
であろうとも許さるべきではありません。
経済の面から
ここで、経済的な問題が家族計画と深い関
係をもつていることを、考えてみたいと思h
ます。
わが国では、戦後特に生活水準を向上させ
ようという意欲や、文化的な欲求が高くなっ
ているために、経済的な面からだけ家族計画
を考える態度が、若い人々の問に非常に強く
出てきました。もちろん、文化的欲求㍉生活
水準の向上それ自体は、何ら非難さるべきこ
とでなく、人間の幸福を追求する態度として
当然なことと思い或す。
そして、生まれてくる子ど竜のしあわせの
ために、経済的に豊かになってから産みたい、
という、親としての思いやりも納得できます
し、貧しいより、豊かなほうがよいことは当
然です。
しかし、単に子どもに豊かな環境とか、大
学へ確実にやれる見通七とか、物質的な豊か
さを与えるだけが、親としての最大の務めで
あり、贈り物だと思うのは、まちがいではな
いでしようか。
欧米での産児制限は、一九三〇年ごろの世
界恐慌後に、経済的合理主義の行きすぎで、
その出生率は人口減少の危険をも予想させる
ほどになりました。そのために、むしろ各自
がその生活能力に応じて「育てられるだけは
産むべきだρそれが社会的な責任でもある」
ということを臨含め、家族計画ということば
を使ったのです。
現実に、経済生活が大変なことはい5、まで
もありません。しかし、家庭の幸福が、ただ
頭割りで出てくる消費水準の高さだけで割り
切れるものでない、ということも考えてみた
いと思います。
適度に大きい家族のもっでいる、豊かなな
ごやかなふんいきは、ただ経済的な豊かさだ
けでは求め得られないものでありましょう。
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